前田助産師のブログ

小さな人の決意

昨年、ベビードラマに出会う前に『卒乳』した母子を紹介します。
卒乳とは、乳児にとって大切な幼児になるためのプロセス。そして、母にとっては、可愛らしく、大切で目の中に入れても痛くない我が子との自立に向けての決断の通過点。子どもの決意が何処まで真剣なのかを教えられた私でした。

この春 「卒乳を決めた僕とママの大切なパパへ」
『小さな人は、事の重大さを充分に理解できるのです。僅か1年を過ぎたばかりの男の子。しかも、 「物事の決め!」をきちんと納得し『重大な決断』ができ、さらに、その決めた事を行動に移せる力を持っているのです!』
 このことを直に教えてくれた母と子に出会いました。

肺がん末期と告知された夫と暮らすママと僕、二人で決めた卒乳での決心! 

僕は、ママと約束したんだ。これからは、滅多な事では泣かないよ!って。
ママは、ママで、いつも優しく笑って暮らすことに決めた。パパのためにもね。

だから、僕も、パパは、一日一日を精一杯生きていくことが生き甲斐なんだ!と
思っていた。そんなある日、精密検査でパパの脳にがんの転移が見つかった。
全脳照射という厳しい治療に耐え、摘出手術のストレスを乗り越え、ふらつく身体と
向き合い、生きることを強いられたパパ。

狭くなった視野で、幼い僕の成長をただただ願いつつ、朝を迎える日々が続いている。パパの中にある『生きたい!』だから『生きよう!』とする執念は、きっと小さいけれど逞しく
日々成長していく僕の姿によって、支えられているんだ!と信じてるんだ、僕は!

「生きてください、一日でも長く、あなたの最愛の息子とママのために!」 パパの世界で一番大切な宝物としての僕の決意。️ 僕は、3月1日におっぱいを卒業したよ。でも、眠くなると、恋しくなってくるおっぱいだけどママと僕と2人で決めたことなんだ!
僕は、ちゃんとお約束ができるんだよ!  ️           ホラね(^O^)  2017.03.10

63歳の自らの誕生日に寄せて

2017/02/05  
助産師を始めて三十数年が過ぎた・・・。最近やたら自分の辿ってきたルート(人生)が、自分をどう変えてきたのか?という事に興味がわいてきた。多分、『自分探し』という名前の旅が、人生なんだということに気付き、それが楽しくなってきたからだと思う。「悟り?」とでもいうのか?そんな事を思いつつ、自分にとって「節目」となってきたいくつかのことを記してみたくなった。
『現代版産婆』を目指してきた自分を振り返り自分へのプレゼントにしよう!

① 助産婦修行…それは、目指す産婆さんに出会う旅だった

子持ち新米助産婦
最初の5年間、無我夢中で先輩のお産に立会わせてもらっていた。時間が許す限り病棟に居残ってお産に関わろうとしていた。「先輩の技は自分で観て盗め!」とでも言われ、その使命を果たしたいと真剣に考えていた気がする。
これから「産婆の世界」に乗り出していく。ヒトのお産に関わるという『産婆の仕事をする』ための航海を始めるようなワクワク、ドキドキ感満載での船出だった。
その当時、私の勤務していた病院は、産科病棟(16人体制中、ナースは一人だけ)しかも、平均年齢は、50歳を超えていたと思われる。当然、腕に覚えのある「助産婦」と云うよりも「産婆さん」という呼び名の方がふさわしい先輩が多かった。

日中の勤務時間は緊張の連続だったが楽しかった。先輩の技術を垣間見てその技に感心し、少しでもその技を教えてもらおうと思っていた。
先輩の中に殊の外怖い先輩がいた。だが、その人の夜の顔は、怖いけれど信念に燃えていた。お産だけではなく、夜勤の時間帯には、すぐに産まれそうな産婦さんがいなければ、必ず、お産を終えたばかりのお母さんをひとりずつ詰所(=ナースセンター)に呼び、母乳ケアをする先輩は、「完母」が、育児のあるべき姿だと背中で教えてくれた。

母乳ケアの原点
私は、母乳が出始めるまでの辛さを知っている。「この辛さに耐える」ことでしか完母への道は開かれない!という先輩の教えを忠実に信じ、守っていた。だから、何の疑問もなくこの拷問のような呼び出しケアを毎晩のように繰り返していた。
その技術が今、母乳育児をすすめる中でとても役に立っている。多くの出産直後のお母さんの乳房をケアさせてもらったことが今に繋がっていると感じるのだ。

助産婦五年目にしての出産体験
また、助産師五年目にして授かった第三子を大先輩の処での出産(助産院出産)し、ノーリス(会陰の傷なし)という小さなことが、どんなに安心して便座に座れるか!を実感できた。三度目にして本当にトイレが怖くない快適な産後生活だった。
しかし、また、第三子の後陣痛は並の辛さではなく、脂汗をかいて、歯を食いしばっての授乳をも体験したのだった。更に、もともと持病だった片頭痛が、出産を契機にか?ひどく悪化し、産後二週間後には起き上がることも出来なくなった。地元の整体師の方に大晦日の往診を頼みこんだ。頭を挿げ替えたいほどの「脈打つ痛み」が、右後頭部から眼窩にかけて襲ってくる!その頻度が年末にかけてどんどん増し、もうどうしてよいのかが分からなくなった時期もあった。
(その後、半年後の発作時期、なんと1週間で体重が五キロも減るという状態になった時「藁にもすがりたい想い」を救ってくださったのは、ひょんなことで出会った「何やら医学」を習得された仙人のような導師だった。施術を3回受けたところで、偏頭痛とは完璧に縁が切れ、今日に至っている!…そして、これが後々の私の産婆信念における「出産には人智及ばぬ何かが存在する」という考えに至るまでの大きな影響を与えているのだと思う)

② 現代版産婆を目指す私の修行は、産婆志向に拍車をかけた

産休からの復帰
産後復帰は、出産後二か月、産休明けと同時に新病棟の開設で、乳飲み子の存在を忘れてしまうほど雑務を抱え込んでいた時期がある。幾度も幾度も、院内保育所の保母さんたちに「お迎えの時間」を忘れ、多大なる迷惑をおかけした。
また、勿論、第三子(未だうまれて日の浅い我が子)にも「申しわけない!」と心の中で謝り続ける日々だった。長男、次男も小学校の低学年と保育園の年長さんとはいえ、まだまだ、母を必要とする時期だったはずだ。思い出すたび「感謝の涙」がわいてくる。
「僕たち、よくグレなかったでしょ!」と後になって、三人の息子たちそれぞれに言われて返す言葉がなかった。現在、要介護の母の惜しみない努力と心からの協力、そして、夫の無言での理解、協力がなければできなかった事だとつくづく思いかえしては感謝の思いで一杯になる。

脱勤務助産婦
そんな中で、待ちに待った配置転換希望が通ったのは、入職後9年目の春だった。配置転換希望の動機については、入職後、3年目から希望していたことである。一つは、学生との関わりが好きな事。現在も助産院での学生受け入れは積極的にしているが、根っこは、シンプルに学生が好きという事。そして、もう一つは、やや不純な動機がと思われるかもしれないが、お母さんとのコネクションを生涯続けたいという私自身の想い。
例えば、お産を済ませたお母さんから声をかけられたり、挨拶されたり、街で出会った親子連れに赤ちゃんを抱かせてもらうことがあっても、病院内の出産現場でのノーメイクの産婦さんとおしゃれな赤ちゃん連れのお母さんは結び付かないのだ。 要は、出産が初対面だけでは、なかなか信頼関係を深く結ぶことが出来ず、私自身も記憶が曖昧になってしまっている。この「残念感」が私の病院勤務中での最大の対処すべき課題だと感じていた。
そして、それが9年目にして適った助産師学校勤務(配置転換)への動機だった。助産師教員になってもっと深く教え子を通じて、お母さんと繋がれないものだろうか?!という。決してそれがどうこうというものではなく、私のひとつながり志向は、「生涯の財産」だという考えだから。これが、私の暑苦しさの原点なのですね!

先輩助産の魅力
暑苦しい性格の私(実は、他人に云われて、やっと自身の暑苦しさを自覚したのだ。本人は、極めてクールな人間と、ずっと自負してきた。それは、あまり正しく自分を観ていない事だったと気付いた、37歳にしてやっと。)
昔ながらの産婆さんの「お産の話」を聴けるのが好きで、当時助産婦会の諸先輩の話を聴ける機会には、万事繰り合わせ、欠かさず参加していた。
先輩からの口述は今思えば助産師技術大辞典になるほど大きな財産であった。教科書ではなく、実際の経験が経験値としてどんなに価値あるものかがよく理解できる。増々、生のモノが持つ重みをこれからは伝える年齢になったのだと思う。

例えば、5キロ近くの胎児を会陰に無理な力を懸けずに取り上げるには、充分に上肩を出してから、(肩を)まっすぐに下へ押し下げると、胎児が軟産道から抜け出せる・・・。
実際に内反の現場に立会ったしまった時も、即座に現場での技術伝承を受けた。子宮頚管部を圧迫して子宮内反を防ぐ方法だった・・・。
また、もし、骨盤位の胎児に遭遇した時の、ファイシストメリーで分娩介助、「横八の字」の手技を使って、赤ちゃんを取り上げる方法を手を取り足取り教えてもらった。言葉を添えて教えて貰った…という具合だった。

大好きな大先輩の手
助産婦6年目頃から、第三子を取り上げて下さった産婆さんの手の温もりがどうしても忘れられず、やっぱり「これしかない!」と、つよく開業を意識し始めていた。また、実は、私が、助産師学校に在籍していた時期に開業助産師の故三森孔子さんに出会ったことも私の産婆人生での「開業志向への大きな核」になっていたのだ。私にとって、二人の息子を出産しながらも、出産は恐怖でしかなく、陣痛の痛みにも耐えられず泣き叫んでの体験は、ある意味トラウマになっていた。二回の出産体験は、自身が助産師を生業にするには適さない人、或いは、程遠く、足踏みをせざるを得ないと思わせる原因に思えていた。

憧れの大先輩の技
三森孔子さんの助産院で初めて立会った自然な出産「ラマーズ法による出産」とは、「胎児が、自分の意志を母にきちんと伝え、母がそれに応えているようなお産だった。
母と胎児が協同して、陣痛をうまく乗り切り、母にとって、一番無理の無いように胎児がその頭部の丸みをうまく適合させ、産道をゆっくり充分に拡張させ、母児の呼吸のひとつひとつを無駄なく、タイミングを合わせて進行していくのだ。  
胎児は、母の子宮という居場所から丁寧にこの世の中へと送り出してもらって生まれてきた!という感じが、この世に登場した時の姿だった。
いわゆる「産声」という最初の呼吸を切り替えるための一声以外、泣きもせず、母のおなかに心地良く乗っけてもらえている姿は、何とも愛おしく、周りをほわほわとした湯気が立ち上るような不思議な世界に包み込んでくれた。目に見えない温かな空気が赤ちゃんになったばかりのこの世に生まれた小さな人を包んでいた。

そして、この瞬間、私は「生涯、生業として出来る仕事はこれだ!」と目からうろこが落ちたというような、いえ、そんな言葉よりもむしろ、雷に打たれた!というぐらい強い表現の方がぴったりすると云い直したい衝撃を感じていたのだ。

自己責任の覚悟
更にもう一つ、助産師学校での教員研修期間中(夏休み)に初めての海外を体験した。今まで暮らしてきた日本の安全で安心な生活空間からは考えられないところに来てしまった。治安も生活そのものの豊かさとは程遠い世界(南半球のボリビア訪問)に足を踏み入れたのだという感覚をもった。その時に緊張感は、まるでこちらに向けられた銃口が、今にも火を噴きそうな瞬間もあった。乾いたパンパンという音を何度も耳にした独立記念日というものの意味を身体中で感じた。

そして、その時、私は、私自身、自分で決めたこと(海外行)を自分で行動している。自分の身の危険を冒してまでも地球の裏側に来ていること自体、全て自分の責任で、その責任には自分で応えるしかないのだと強く自覚することが出来た。
自己責任の取り方を真剣に学んだ南米ボリビアでの生活だった。
この南米の旅の教訓から得たものは、出産をするチャンスを持つ性である女性の強さの根底にある「産み出す力」のことをよく『いのちを張る』と云うことがあるが、それが、如何に納得のいく表現であるかを理解できる様になったことである。

理論と実践の間
増々自然な出産に魅せられた私は、臨地実習における矛盾に悩んだ。学生達は理論的な知識が、実際の出産現場では、殆ど生かされない事への疑問を体験しながら助産師への道を目指すのだ。理論上、自然な分娩では、女性の生殖機能としての子宮の収縮による胎児娩出であり、産道を軟産道として胎児を無傷で通過させることが出来るはずだ。
帝王切開の適応になる「児頭骨盤不均衡」に対しても、理論上の手術の確率を5%ぐらいまでにとどめられるよう仕組まれている。母の骨産道と胎児の頭頂骨(大泉門)の応形機能の素晴らしさは、如何にうまく、阿吽の呼吸を駆使することにより、考えられないほどの無理難題をクリアしてしまうのだ。実に長い時間をかけて経腟分娩という自然な出産を見せてくれることも多かった。

開業助産師としての経験を次に書き続けたい。

現在の出産方法について次回へ。つづく。長々とありがとうございました。また、この続きを書かせてもらおうと思っています。よろしくお願い致します。                   
2017/02/05早朝 「もりころパーク」行の時間が迫る中、親友Hさんとの宣言に間に合った!

新年早々の『子育て談義』ご参加ください!

20170105 ブログ                 原稿2017/01/05作成
仕事始めの朝、『卒乳』中のお母さんとの会話から始まった今月のブログです。
子育てについて、あなたの考え、「もしよかったら、ご意見ください。」

はじめに
おはなしが得意なアオちゃんは、いつものように、助産院にやってきました・・・・

今日も、開口一番! 「おはよう!・・・・・・ エㇳ・・「おめでとう(*^_^*)!」
大人顔負けの新年の挨拶が出来た時の顔は、誇らしく得意げですっきりいいお顔、
「おめでとう」の意味することを理解している様子。二歳児(*^_^*)ⅲ

さて、お母さんとの会話です。
この年末年始、『子どもの育て方について』夫婦で話してみたら。

実は
夫は、「厳しく育てよう!」と考えているとのこと。(内心、ちょっと、びっくり!)
何度でも、きつく言い聞かせることが子育てには必要なことだと考えている、と。

一方、
私は、(あんまり細かな事を気にせずのびのび育ってほしいなぁと・・・)
「いろいろなことをゆっくり話しかけています。」
一杯話しかけていくことが良いと考えていますから。
優しく言い聞かせていけば、よい(わかると)と考えているので・・・

真っ向から異なる『夫婦の子育て談義』・・・今年の大きな課題だと自覚

そんな中、
子育てに関わる時間の圧倒的な差によって、
アオちゃんは、とても穏やかで、お話のできる子どもに育っています。
夫婦の会話は続きます。
夫からは、「いいゃ、ちょっと厳しさがたらないのでは?」と云われて戸惑ってます。

子どもを育てていく、
夫と妻の役割として、
ママはいのちの源をくれる人。パパは遊び友達。(とにかくママ優先!?)
とか、
昔話にあるように、
山へ芝刈りに行く人が男の人『お爺さんにしろ、男性』
川へ洗濯に行く人は、女の人『お婆さんなど女性』などが
定番だとされた時代もありました。

今の世の中では、どうでしょうか?

最近、
「育児について」の多くの見解の中で、
孤立化するママが、ダメな母親の象徴なのではなく、
子育て中の女性が「孤立しやすいように仕組まれている!」
ということが、解明されました。

また、
「ヒトの子」は、
本来、多くの人が関わらなくては、育ちにくい事も理論的に立証されました。

『共同養育』と云って、
ヒトの子は、周囲の人がみんなで協力して、子どもに関わる育ち方が大切と。

昨年、1月にNHKで放映された『ママたちが非常事態!』をご存知ですか?
700万年前にチンパンジーの子育てと人間の子育ての違いが、確立したのです。ヒトの場合、『孤立した子育て』は、そもそもうまくいかない子育て方法だということがいくつかの実例を通して、また、科学的、理論的にも実証されていました。

『子育てには、これしかない!』という、究極の王道なんてないのですからね。
お互いに私のやりかた、うちの夫婦の育て方、我が家の場合など、実体験を通して、我が家の子育て法を語り、たのしみ、満足を感じればよいのです。

戸惑い、失敗のない子育てなんてありえないですが、ある時振り返ってみたら、満足感に満たされ『百万点を貰える生き方』だったと感じられるような「子育て」や「自分育て」をしみじみ実感するようなことがあるのかもしれませんね。

おしまい
ご意見いただければ嬉しいです。
メール m.hiroko.g@gmail,com     Hp m.hiroko@la-cuna.net
E6-90-BA-E5-B8-AF-E3-82-88-E3-82-8A03-E6-9C-8819-E6-97-A5-00081

助産師前田弘子の財産&宝物 (回想録)

2016/11/29                                 良い肉の日に寄せて

 

「助産師前田弘子の財産&宝物」

 

いろんなことが次々に起こる今年の「秋から冬の人生街道」ん~~。

でも、決して、辛い感覚ではない試練なのです。それに、逃げたいとも思えないんだなぁ~~。この感覚!! いつだって、ワクワクしている自分を感じていられるから!

 

では、私の財産、私の宝物を紹介します。

それは、「新たな出会い」。「初めての企画への参加」。「より大切な仲間との『絆』の確認」。…と『それぞれの「新たなる課題への挑戦」と共に私の中ではどんどん増えるモノ』らしい、そして、それらは、全て私のライフワークにも深くかかわってくれるものなのです!

それは、『人との繋がり』です。

 

人との繋がりは、前田助産院ポリシーの原点でもあるのです・・・

 

助産院の唯一の財産は、『人との繋がり』でできている『人脈』なのです。

多くの人との出会いによって積み上げてきた「人繋がり」という『宝物=人脈』は、果てしなく膨大な時間をかけなければ手にすることができないこともある、心を砕いて真剣に見つめ合っているうちに自然に得られる時もある。また、瞬時のインスピレーションで叶う場合もある、多くの会話やコいくつものミュニケーションを経てやっと理解しあえる関係ができる事もある。会話なのか?ディベート?口喧嘩なのか?区別できないほど絡み合い、激論を交わし、こんなに理解しあえないのか?!と悩んだ末にやっと納得にたどり着いたこともある。中には、価値観の違いに唖然とし、全く異質な価値観の中から共通の真実の理解に行き着き、万歳したこともある。でも、このようにして手に入れた目に見えない『宝物』は、私にとってどれほど大切なものか計り知れないことは事実なのだ。そして、この世にこれほど尊い「財産」は、他に存在しないことも確信できる。

 

この秋から冬にかけての収穫とは、私の助産師人生で、今まで探し続け、思い描いてきた『いのちの樹』ージグソーパズルをイメージし、それを完成させたい!とパズルのピース探しを始めて3年にもなるーそのジグソーパズルの大切な何片かを見つけた事だった。『いのちの樹』の完成図が、少し見えかけてきている気がする。何か、もう一息というところに来ているような感覚が強まってきた今日この頃なのです。ココに至るまでの経緯、そして、安寧を得た今の私の話に暫くお付き合いください。

 

もう40年も前のコト

助産師活動の未来を見据えたという大先輩の言葉を聴いた。今もその言葉は、私の胸に染み透るように響くことがある。開業助産師になりたての頃の私は、24時間365日体制でどこへでも飛んで行って「自然なお産」に応えたいという意欲に燃える暑苦しいほどの若手だった。先輩の開業助産師は「素手」の分娩介助から手を引くべき時期に来ている、という助言に背きながら「敢えて素手」で自然分娩を請け負い、あくまでも「自然にこだわった」自宅分娩(フリースタイル)を介助していた時代があった。

絶頂とどん底は背中合わせ?

開業助産師としての力量不足、判断力、診断技術力などの甘さを思い知らされたこともある、危険発生率の確率という大きな掟にも打ちのめされた経験もした、開業助産師の限界を知った頃には、自分自身の健康管理も出来なくなり、母子の「二つの命」を預かることが出来なくなるまで突っ走ったのだと悟った。身も心もズタズタで疲労困憊となり精神的にも病み、挙句の果て、自らを信じられなくなり、助産師人生を閉じたくなったこともあった。

見えるはずのないものが見えてくる

そんな時、新たな道を開いてくれた人との再会があった。「生きるテーマ」をしっかりと与えてくれたのが、人繋がりだった。茫然自失の中、講義の壇上で見たものは、紛れもなく、神がかり的な幻想だった。「ココからもう一度前を向くようになさい」と強烈な閃光に照らし出された圧倒的な大きさと迫力に満ちた「巨大な道しるべ」がはっきりと見えた。それは、昔、映画館で観た『モーゼ十戒』の「海割れ」のシーンようだったことを今も鮮明に記憶している。そして、それを機に新たな助産師業務への熱い想いを復活させ、分娩介助を中止した形態での仕事に復帰した。母乳援助を中心とした助産院として。

全く知らない分野を現場で学ぶ喜び

新たなカタチを始めるまでの間にも、人繋がりに支えられた。施設内での看護と地域での看護の違いを知ったこの訪問看護という形態、そして、精神という目に見えない部分での疾患との関わり方を学ばせてもらった。助産院の立場では、地域活動をどう展開できるかという仕事のあり方を学ばせてもらった。このアルバイトの経験では、ゆったりとした時間の流れの中でしか生きていけないヒトの存在とあまりにも心優しいヒトにとってはこの目まぐるしい現実社会は、生きていけない現場を目の当たりにし、支援を必要とするヒトの多様性、訪問という選択権をゆだねた援助の仕方を学ぶチャンスをもらった。

母乳支援での助産院業務こそ、思いやり・心配り・優しさ・細やかさが必須

『母乳育児支援』という新たな仕事形態については、助産院を経営し続けること自体、なかなか大変なことだと多くに人から忠告を受けた。分娩に比べ、リスクは少なくなったものの、その分、きめの細やかな対応を欠かせない。そのことを身をもって教えてくれたのも、やはり、人繋がりだった。急性の乳腺炎で辛い思いをしているお母さんからの電話を受けた時、久しぶりに楽しみな夕食を約束していた友人は、快く夕食をお預けにし、しかも、自分の車で、名古屋を横断して救急対応の応援をしてくれた。この心優しい思いやりの大切さを身をもって学ばせてくれたのだ。この友の示してくれた「営業姿勢」の大切さ、チャンスを活かす、心から期待に応えようという「即決」のタイミングを伝えてくれた無言の行為が、今の私の「母乳ケア」での助産院経営を軌道に乗るまでに導いてくれたと確信している。

 

また、

開業再開の中で、私の考え、信条には、必ず手を止めて、話し合えるスタッフ達との出会いがある。いつも真剣にお互いに熱く語れる間柄の大切な仲間との再会があった。偶然のように思える出会いだったが、その時こそが、最良のタイミングでの出会いだった。近況確認を交わし、未来、将来の事を語り合い、トキを忘れて「熱い打ち合わせ」を重ね、改善策をねり、時間をかけて熟成させる。更に、もう一度、話し合うというやり方で業務検討を重ねてきた。お互いの暑苦しいまでの情熱、お互いに暑苦しさを自覚しながら、充分に納得した上での業務に対して、お母さん・小さな人達の確かな手ごたえをしっかり受け取れたときは、本当に満足できることも実感した。充実の時間を共有する楽しさはやはり人繋がり以外の何物でもない。

 

この『人繋がり』という財産、『人脈』という宝物は、助産師職の前田弘子ならではのもの。こんな自由で楽しみな開業助産師の仕事。これこそが、助産師冥利に尽きる醍醐味だと自負する。自分の大好きなことを行動に移す、それだけで感謝される。そのことで決して天狗にならぬよう『誠心誠意』天職に励みたい。この仕事をこれからも情熱をもって続けたいと考えている。

 

大切な時間を割いて最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

私自身、60歳代では未だ青二才助産師だなぁと思います。大先輩に言われても仕方ない未熟者の産婆です。

文責;前田弘子

 

開業助産師の仕事について

助産師の仕事は、お産を取り上げることだけだと考えてきた。

お産を担当するとピンと張りつめた緊張感と『産まれてくる子の命』を

どう迎えることが最善だろうかというワクワクするような想いと

助産師としての生き甲斐で、身体と心が武者震いしていたものだ。
しかし、今、お産の現場は、もう一つの大きなリスクを持つことになった。

目に見えない神の手が下すリスクをもクリアしなくてはならない現状を

受け止めざるを得ないのが日本の出産現場の現状なのだ。
95歳の大先輩は、これからの助産師を行く末を案じ、助産師業を無くさないでほしい!

と切に訴えておられた。私たちが何としても助産師という専門職を護らなくてはならない

使命と現実を重く受け止めなくてはならない。

大変だけれど助産師の端くれとして、どうにかしたいと真剣に考えている。

さだまさしさんを名古屋に呼ぼう!の発起人①

2014年4月25日(4/25は私にとって、20年前から運命の大転機の日だったはず!)

『さだまさし4000回ライブコンサート』どうしても行きたくて、前後の仕事を調整しつくして!

ダッシュ!!車で送ってもらい、新幹線に飛び乗り!

東京までめったにしない単独行動、

単身、飛んでいった・・・春。

ひとり、あわただしく、やっと、ライブファンに仲間入り。

(会場前で相談電話を受けたっけ・・・!なんと、その女性、先日、赤ちゃん誕生!)

 

4000回記念ライブではなく、実は、追加公演・・・

でも、

ライブは想像以上の楽しさで、大大満足!!

オープニングからの「盛り上げ」は、

さすが、さだまさしパワーだった!

人を思いっきりひきつけ、

3時間近く全く飽きさせず

退屈させないエネルギーに感動!!

最終電車に間に合うよう、帰り道も、また、ダッシュ!!

ライブの余韻を抱えて、、

東京駅発最終の新幹線に滑り込み!

ああ! 良かった! 楽しかった! 満足! 満足×10!!!!!!!!!!

 

でも、

そこで、止まらない次の発想!

もっとchanceないかな!?

欲張りなんだ・・・わたし。

ここで終わらないのが

前田弘子の暑苦しさなんだなぁ~

どうしても「直接、話がしてみたくなった!」

そうだ!さださんを名古屋に呼びたい!

名古屋に来てもらうには・・・

アポとらなくちゃ!

どうやって?

芸能人・歌手・タレント・俳優・・・

テレビの向こうの人との縁は皆無

周りの人には、人脈が財産!

と云いつつも、

自分の人つながりの乏しさを実感(ションボリ?!)

 

いえいえ、動くことです。

行動してみる事!と。

来院されるお母さんたちに

アタック!

さださんかぁ!、雲の上の人・・・

芸能関係は・・・

かかわりのある人には、辿り着けそうな人はいない?

聞いてみるけど、期待薄いよ・・・

なかなか、手応えもなさそう。

う~~~~ん。だんねんかぁ~。

 

ライブでなくて、講演活動で考えてみたら?

やっぱり、高校時代の友人は当てになる

良いideaを提供してくれた。

Oクン曰く、彼のような歌の大物は、

「歌では呼べないヨ!」

何せ、ライブがプレミア付きで、完売する人なんだからネ!

 

人の集まりそうなところ、

費用の捻出可能なところ

わたしのような隠れファンは絶対全国には

山ほどいるはず!

多くのファンが居てくれるところに

来てもらえないか?

「想いがあればどこへでも!」

紀伊半島の山の中?

もちろん東日本の震災応援には、

力を入れて、何度も足を運んでいるとの情報あり

「被災地の方々がもうほっといてくれよっていうまで応援しよう」と。

フットワークが軽い

想いを行動に移す

すぐそこにも来てくれそうな・・・

などなど

口惜しい情報だけが入ってくる

 

おりしも、毎年参加している

夏の『愛知サマーセミナー』(2014/07/19・20・21)

恒例の祭典は、第26回目!

ソウカ!これはいい!Good idea!

『サマーセミナーによべないかな?!』

懇意にしている父母懇のMさんに声をかける

え~(反応は、やや↓ぎみ・・・ )

「今の中高生のままの世代は、あまり知らないかも・・・」

「さだまさし」の年代的な認知度の差?彼女の周囲の環境?

ちょっとめげつつ、

仕事つながり仲間で、

暑苦しい人にも付き合えるいのちの樹PJの同志

某会社社長Tさんに連絡!

「ちょっと、むりじゃない?」

との反応、でも、少し動いてくれそう!

サマセミの企画について情報提供をうける(サンキュウ!)

・・・

・・・

時間の経過とともに・・・

少しテンション下がり気味

仕事も忙しく

さださんの償い・サナトリウムに唸る日々

毎日といっていいほど

さだまさしコレクションは耳にしているものの

 

 

第一話はここまで・・・「とき」をまつ心境

2015/02/17朝

 

 

愛知サマーセミナー”赤ちゃんたまごをつくろう”講座

毎年参加している愛知サマーセミナーに今年も講座を出しました。

性教育教材としての4ヶ月胎児、コンドームに50gの砂を入れ、頭の銅の重さを半々にバランスしたサルボボにも似た、創っていくうちに愛情さえ感じさせてくれる、赤ちゃん卵。
間違えば、不要な命と実に踏みにじられるようぬ抹殺されてしまうような存在。
来てくださった方はわずかに三人・・・でも、その方達の濃さと云ったら!!!半端ではありませんでした。
高校の生物の先生のSさんは、マンネリ化した『命の発生』の話を展開することについて課題を抱えておられ、コンドームの中で育つ胎児の様子をイメージしてみえました。
助産師でありながら、広い視野で性についての大きな問題に取り組んでおられるYさんは、
乳児院での子どもたちの生活の中での問題を自治体とともに考え、未来に向けての取り組みを構想してみえました。
Mさんは、柔軟な考え方を活かし、これからの未来をどう設計できる子どもたちと取り組もうかと、色々な視点から学びたいと考えてみえました。

小さな命のなせる業、「4か月の胎児」にとって、今後、この大きな役割をどのように世に問いかけるていけるか?が、大きな課題だと思いました。

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助産院ブログをご覧の皆様

助産院ブログをご覧の皆様

こんばんは。
前田助産院院長の前田弘子です。

このたび2014年5月14日をもちまして、
当ブログを引っ越しました。

新しいブログは、

前田助産院オフィシャルブログ

です。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

あたし、スケータ~!

きっと、
 
   将来リンクでも滑ってみせてくれるっじゃないかな~~!

          この軽やかなお腹スケーティング!!!!
 
                あたしは、生後8か月のスケーターでしゅよ~~
           

                    す~ぃ、す~ぃす~ぃ!!
 

、動画がアップできず!
私の軽やかなスケーティングスタイルを是非お見せしたかったのですが!!

ぼく、あるくよ!

ホンの一年前、

おっぱいが飲めなくて、

お母さんと苦心惨憺、

赤ちゃんは時期が来れば

「自分で歩く日がくる!」なんて、

全く想像すらできなかった!!

必死の思いで、ほとんど毎日通った助産院。

毎日が格闘だった!!

こんな,誇らしい日が来るなんて!

全く考えることも出来なかった!!

と、

涙が出そうに話されるKさん。

我が子ながら

感謝の涙があふれる意味は、

私が一番よく知ってますからね!まえだ